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こんなところでも子供の成長を実感 [日記・雑感]

さすがに高校生活もあと1年ちょっとともなると、
上のふたりの成長を言葉の端々に感じることがある。

最近、特に感じたのは、
物語がちゃんと終わりきっていないという意味での
「消化し切れていない」という言い回し。
長男が友人と映画「仮面ライダーディケイド&ダブル」を観てきて、
私はひとりで観てきて、
しばらくしてからその話をしていた時のことである。
テレビ版から出ていて、常に主人公を悪呼ばわりして、
目の敵にしていた「鳴滝」という正体不明の男性の話である。

ネタバレにちょっとなってしまうが、
この鳴滝、結局、映画版でもどういう人物だったのかよくわからず、
「?」がついたまま終了。
それに対し、長男が「鳴滝のことは消化し切れていないよね」
といっていたわけである。
私はまったく使わない言い回しだったので、
非常に新鮮で、
読書やテレビ、友達との会話の中で覚えたんだろうと思うんだけど、
テレビの物語の良かったところ悪かったところを切り分け、
悪かったところの評価に対してそういう表現を使えるようになったのだから、
なんか成長したなぁ、と。

あと、子供に話で笑わされてしまうのも、
成長を感じるところ。
子供がやってること自体がほほえましかったりとか、
友達とどんなバカなことをしたっていうので
笑うことはあっても、
普通に話で笑わされたのはやっぱりつい最近。

どんな言葉で笑わされたかというと、
「死亡フラグ」。
たぶん、普通に使っている人も多いとは思うけど、
一応知らない人のために説明すると、
物語で、登場人物が死ぬ場合、
事前にそれっぽい動作やセリフ、思いなどが
表現されるのが日本のアニメ、コミック、小説などの
一般的な手段なのはご存じの通りで、
「こいつ死ぬな」とわからせる何かを表現したキャラクターに対し、
「死亡フラグが立った」というのである。

元々、テレビゲームの一種であるアドベンチャーゲームなどで、
物語を進展させるのにどの人物と話をして、
こんなアクションをして、という条件を満たして次に進めるようになることを、
「フラグが立つ」という、アドベンチャーゲームの黎明期からある言葉なのだが
(その昔、まだパソコンにBASICと呼ばれる高級言語が
普通に搭載(もしくは別途用意)されていた時代、
80年代の話だけど、パソコン雑誌で
アドベンチャーゲームを自分でプログラミングする記事があって、
そこにすでに解説してあった)
そこから引用されたと思われ、
最終決戦を前に主人公の仲間のキャラクターのひとりが
「この戦いで何が起きても僕は後悔しない」なんて決意をすると、
あー、死んじゃうのねぇ……と
読者・視聴者は心構えができるというわけである。

で、以前、「ブラスレイター」という、
次男が友達とカラオケでそういう作品が放映されるのを知り、
関東ローカルのUHF局での放送だったから、
我が家で観られないのを知って落胆した作品を、
CS放送で観ていたら、
とあるキャラクターが死亡率100%のウィルスに感染した兆候を示す
咳込みをし始めたことから、
「いやー、あいつに死亡フラグが立つとは思わなかった」などといわれ、
思わず笑ってしまったというわけである。
フラグが立つってどこから来てる言葉だかわかってるのかなーとか
思ったのだが、
違和感なく使いこなしているので、
面白かったというわけである。

まぁ、子供のいない人から見ると、
こんなののどこに成長を感じるのかわからないかも知れないけど、
親にはわかるもんなのです。

でもね、あと少しで高3になるっていうのに、
いまいち、将来、どうしたいのか決めてなかったりするのには、
お前ら、もっと将来のことを考えろー!
とケツを叩きたくなる私とカミさんなのであった。
タグ:子供の成長
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